3.《切断障害》

3.《切断障害》

【東岸合理】

「おい、大丈夫かよ……」
 の目の前では、倒れて気を失った天上を、定理の姉貴がしゃがんで眺めている。
 姉貴が天上を"こっち側"に引き入れようとしているのが見てられなくて目を逸らしていたワケだが、天上の苦しそうな声が聞こえてきて、戻ってきてみればこれだ。
 姉貴のヤツ、何しやがった。
「別に私は何もしていないわよ。彼女が急に頭痛で倒れたからちょうど良いと思って、彼女の状態を解析しているだけ」
 姉貴が俺の考えを読んだかのように答える。
 何が"ちょうど良い"んだよ。どこも良くないだろう。
「心配しないで。特に問題はないから。命に別状もないし」
「……そうかい」
 一先ずそれを聞けて安心は出来た。姉貴の言うことなら本当だろう。
 しかし、少し落ち着いたと思ったら今度は廊下の方からどたばたと走る音がして、面倒くさいヤツが来たなと思うのであった。
「ねぇねぇこの人だれ?」
 エーデルワイス。俺のペットは、居間に来るや否や、興味深そうに天上の顔を上から覗き込んでいる。
「部屋に居ろっつったろ」
「部屋のもので遊ぶの飽きたんだもん」
「じゃあ背理にでも相手して貰え。アイツは何でも出来るから」
「やだ。あの人怖い」
 クソ。我儘なヤツだ。
 定理姉貴は、基本的に邪魔されることを嫌う。今の状況でこんな煩いガキがやってきたら、苛々することは明白だろう。
「……ちゃんと躾けるって言ったじゃない」
 姉貴が眉間に皺を寄せている。こういう時は本当に分かりやすい反応をする。
「ねーねーこの人だれなのー?」
 そして、俺と姉貴が睨み合ってる隙に、エーデルワイスは天上に跨って、小さな両手で天上のそこそこ大きい胸を揉みしだいた。
「こらっバカ! 何やってんだ!」
 慌ててエーデルワイスの腰を両手で持ち上げて退かす。
 邪魔で仕方がないので、とりあえず大人しくさせよう。
「大人しくしてないと背理んとこに連れてくからな!」
「わ、わかった……」
 背理の名前を使って脅すと、急にしゅんとするエーデルワイス。
 アイツ、マジで恐れられているな。俺が見てない間にコイツに対して何かやらかしたのか。
 怒らせると非常に危険なのは、目の前に居る姉貴も一緒なんだが。
「すまん……」
 姉貴の怒りが爆発する前に謝っておく。
「私は別に良いけれど」
「ん?」
 姉貴が意味深な言い方をしたので天上の様子を見てみると、彼女は目を覚まそうとしていた。
 流石に近くでこれだけ煩くされてはおちおち寝ても居られないか。まあ、とりあえずは無事なようで良かった。
「大丈夫か、天上。急に倒れたらしいけど」
「んっ、う、うん……。私、また倒れたんだ」
 "また"ということは、今までにもこんな事があったのだろうか。
 寝ぼけ眼を擦りながら答える天上の顔を覗き込むと、目が合った。だが妙にわざとらしい感じで、すぐに俯かれてしまった。
 俺が何かしたのか。身に覚えはないが、そもそも天上の俺に対する態度が最初から分からないことばかりなので、考えても仕方がない。
 定理の姉貴が鬱陶しそうな顔で制服のポケット――姉貴は家でも大抵制服で過ごしている――から煎餅を出してエーデルワイスに餌付けした後、畳の上で向き合って座っている俺と天上の方へと向き直った。
「中断されはしたけれど、中断されはしたんだけども、十分に天上さんの状況が分かったから良しとしましょう」
 当て付けのように邪魔されたことを強調する辺り明らかに苛々しているので、"十分に解析できたならそれで良いじゃないか"とは言えなかった。
 さて、エーデルワイスについて如何こうするのはこの辺にしておこう。重要なのは天上の方だ。
「私、2年になったとき位からずっとこんな調子で、むしろ段々と酷くなってきていて……。勿論病院にも行ったけれど、私自身も含めて、私の身体に何が起きているのか誰も分からないの」
 最近になって突然起こるようになった、原因不明の周期的な頭痛。それも、意識を失うほどの。
 俺には医学の造詣なんて全く無いし、逆に定理の姉貴みたく、一般人の目が届かない、この世界の真実に詳しいわけでもない。
 そもそも俺の"特別性"に関する知識なんて、定理の姉貴の説明を鵜呑みにしているだけで、実際に見て感じたものは多くない。
 しかし、天上の頭痛の原因を特異に求める考えはすぐに浮上した。
 コイツが特異能力に発現していることを考えれば、そのような"不具合"があっても不思議ではない。恐らく、未知の難病である線よりも濃厚だと思える。
 勿論、俺に詳細なんてものは何一つ分からないが。
 そもそも状況からして"天上が何らかの特異能力に発現した"ということが明白であるだけで、実際にそれがどんなものなのかを見たワケではない。
「あなたの想像している通りよ」
 突然、またもや姉貴が俺の考えを読んだ。
 姉貴がそう言うなら、やはりそうなのだろう。
「特異か」
「ええ」
 俺達の会話についてこれず、困惑している様子の天上。
 当然だ。姉貴に"世界の理から外れた法則"がすぐそこに存在していることを見せ付けられたとはいえ、つい最近までは、何も知らない普通の高校生だったのだから。
「天上さん」
 姉貴が、いつになく真剣な表情で、天上を見つめた。
「な、なに?」
「あなたがどう思うかは知らないし興味もないけれど、あなたには、自分の身に起きていることを知る義務があるわ」
 "興味がない"。"義務"。そんな言い方はないだろう。
 天上にとっては、未だに整理のつかない事ばかりだっていうのに。
「姉貴ッ……!」
 つい頭に血が上って姉貴の肩を掴みかけたが、軽く振り払われた。
「邪魔しないで、合理」
「……悪い」
 望んでもいなかったことについて勝手に義務を押し付けられるのは嫌いだ。
 俺は天上に、自身のそんな感情を投影させてしまっていたのだ。
 全く、何やってるんだよ。
 望まずとも受け入れるしかない事なんて、幾らでもあるだろうに。
 今だって俺は、天上の身に起きていることなんか、自分では殆ど何も把握できていない。
 姉貴が何を画策していようと、結局のところは頼るしかないのだ。
「私は大丈夫だから気にしないで。東岸……合理君」
 逆に心配されたじゃないか。全く情けないヤツだな、俺は。
 それにしても今、天上は俺のことを下の名前で呼んだな。恐らくは単に姉貴と呼び分けやすくするためであって、深い意味は無いだろう。
――クソ、何を意識しているんだよ、くだらない。
「教えて、東岸さん。私には一体、何が起こっているの……?」
 姉貴は天上のことをじっと見ているが、天上の方は姉貴に目線を合わせようとはしていない。
 きっとまだ色々なことを割り切れていないのだろうが、一方で、姉貴の話を聞かなければどうにもならないと判断したのだろう。
 それは、正しすぎるくらいに正しい判断だと思う。

「天上さん。あなたが倒れる前に実演してみせたから、この世界にあなたの知らない法則があることはもう分かったでしょう」
「え、ええ。まだちょっと信じ切れてないっていうか、実感持ててないところはあるけど……」
「そう。今はそれで良いわ。ちなみにそこの合理も、私や妹の背理とは違う方向性で"特別性"を有しているから」
 なんで俺の話が出てくる。別に今は関係ないだろう。
「悪いけど俺はデモンストレーションが出来るような繊細なコトは出来ないぞ」
「知ってるわ。一応天上さんに伝えておいただけ。一応ね」
 何だよ、毎度毎度、意味深な言い方ばかりしやがって。
 天上の視線がこちらに向く。一応、誤解されないために言っておこう。
「姉貴はそう言ってるけど、俺なんて姉貴や背理、あとはそこで煎餅食ってゴロゴロしてるガキと違って、殆ど一般人と変わりないからな。多分、この家の中じゃあ一番あんたに近いと思う」
「そうなんだ……。ところで、ずっと気になってたんだけど、その子は?」
 天上は、俺の説明した通りの状態となっているエーデルワイスを見た。
 俺がアイツに関する話を振ってようやく質問する隙が出来た、という感じだ。
「まあ、なんだ、義理の妹みたいなもんだよ」
「概念生物。上位次元の別世界に由来する存在よ。今は私がこの次元に固定しているから普通の女の子に見えるけれど、本来は目視が出来ず、三次元的な感覚によって感知することも出来ず、また非常に高い危険性を持つ存在。以上。説明終わり」
 こら、せっかく適当にそれっぽい事を言ったというのにこのチビ姉は。
 "義理の妹"というのを上手い言い方だとは思わないがそれでも、分かるように説明しようとすることすら放棄した姉貴よりはマシだ。
「あー、あのガキのことは気にしなくていいからな」
「え? う、うん。分かった」
 天上の気がエーデルワイスに向いてしまっていたようなので、軌道修正。
 すぐに苛立つ姉貴のことだから、早く本題に入りたいだろう。
「さて、天上さん。まず最初に。変なことを聞くかもしれないけれど、あなたは世界を創ったことがあるかしら?」
「え?」
 姉貴の質問の意図を汲み取れず、天上は困り果てていた。
 昔、同じようにこの世界の構造を説明された俺なら、姉貴が何が言いたいのかは分かるが。
「そうね……。例えば物語を書いたことはある? いいえ、別に書いていなくても構わない。頭の中で想像したことは?」
「想像したことなら。でもその位のことは誰にだってあるだろうし、何か関係があるの……?」
 当然の反応だ。いきなりそんな事を言われて、天上自身の状況との関係性を認められるような者は多分なかなか居ない。
 自分の身に起こったこと――特異能力の獲得――がいかにスケールの大きな話か、想像もつかないだろう。
 正直、俺だって実感を伴って理解したことはないのだし。何せ、この身に特異なんぞは宿していないのだから。
「物語を想像したということは即ち、あなたの世界を頭の中に創り上げたということになる。それは一つの創世よ」
「えっ? で、でも、所詮はただの妄想だし……」
「妄想であるか否かは関係ない。それを言うなら、あなたは私達の生きているこの世界が実存していると言えるのかしら?」
「それは……」
 自らの生きている世界が、果たして何者かの想像ではなく、本当に存在しているのか。
 それは、その世界の属する次元に居ては永遠に証明できないということを姉貴は言っていた。
 つまり、三次元世界に住み、三次元世界の論理で物事を考える俺達に、世界が実存しているか否かを知る由はないということだ。
「絶対に言えない筈よ。言えなくても問題ないわ。あなたが行ったような創造行為が11次元の根本《ルート》から0次元までトップダウン的に行われることで、あらゆる世界は構成されているの」
「つまり、全ての世界は想像でしかないってこと?」
「そんなことは言っていないわ。飽くまで"想像かもしれないし、仮にそうだとしても何の問題もなしに世界として存在できる"というだけ」
「そうなんだ……」
 天上はいまいち納得できていない様子であった。
 定理姉貴の言っていることは、"この世界は誰かの創造物であるかもしれない"ということなのだ。
 そしてもしそうならば、自分の意志で活動していると思い込んでいる俺達に、実は自由意志なんてものは存在しないということになる。
 この説を信じるということは、例えるならば"神や運命を信じるかどうか"といったところであり、少なくとも現代人にそういった、目視できず感覚できず証明もできないものを盲目的に信じろといっても、無理な話だ。
「これだけ説明すれば、もう分かってもらえたかしら。この世界の外に、別の世界が無数に存在するという事に」
「実感は全然ないけど、なんとか……」
「じゃあ、世界ごとに別々の法則《ルール》が存在していることも分かるわよね」
「法則?」
 天上が首を傾げている。言葉の選び方が抽象的で、いまいちピンときていないらしい。
「そうね……私の言い方じゃ上手く伝わらないみたいだから、背理の真似をしましょう。あの子は私よりも俗世に詳しいし」
 "俗世に詳しい"って。確かに背理は漫画やテレビアニメ、テレビゲームを嗜む趣味を持ってはいるが。
 しかし、俗物とは正反対とも言える考えを持つアイツはそういう表現を嫌うから、もし部屋に引き篭もっていなくてこの場に居たら、怒って俺が八つ当たりされていたかもしれない。
 いやしかし、確かに具体的な例を示すことなく説明するよりは分かりやすいかも分からんが、天上にその手のネタが通じるか……?
 いくら元普通の女子高生とはいえ、多少なりともそういったものを楽しんだことはあると思われるが、どうなのだろうか。
「例えば、"日常もの"という、漫画やアニメーションにおけるジャンルを知っているかしら」
 定理の姉貴がその手の話をしている様は、若干面白い。とてもイジってやりたくなるが、邪魔をするとまた怒られるので止めておく。
「え? えっと、目立った展開の起伏がなく、登場人物の生活や会話を淡々と描いていくアレのこと?」
 いきなりサブカルチャーめいた話をしだすものだから、明らかに戸惑っているぞ、天上のヤツ。
「ええ。それで、多くの"日常もの"には基本的に、"主要キャラクターが死を遂げる"という展開は存在しないわよね」
「そ、そうだね。そういうのはニーズに合ってないからってことだと思うけれど」
「この話において重要なのはニーズがあるか否かではなく、"その世界において、主要キャラクターの死という現象は存在しない"ということよ。別の言い方をするならば、その世界には"主要キャラクターは死なない"という法則が、事実上は存在しているのよ」
「……え、えっと……どういうこと?」
 "人が死なない"なんてことを聞いて、素直にすぐ受け入れられるヤツもまた、居ないだろう。
 だが、世界が姉貴が言うように、つまり、世界が固有のルールを持つことによって構成されているならば、おかしな話ではない。
 何故ならば、姉貴の主張が意味することは即ち"同じ人間、同じ生物でも、世界が違えば全く別物"ということになるからだ。
「例を変えましょう。例えば、"魔法バトルもの"。その世界観の上では、私達の住むこの世界と違って、魔法は当たり前のように存在しており、かつ"人間とは魔法を使えるものである"と定義されていることが多い。これってつまり、私達の世界とその世界では、法則が違うということでしょう。法則という表現が分かりにくいのなら、仕様《システム》と言い換えてもいい」
「あ、うん……大体分かった……かも?」
 魔法に例えた説明で、とりあえず合点はいったらしい。
 実のところ、俺達の住んでいるこの世界にも、魔術と呼称されている魔法はあって、それを使う魔術師も居るのだが。
 姉貴なんかは実際、魔術の造詣も深いようで、"感覚によってではなく、ある関数に任意の引数を与えてその出力を得ることで魔術を解く"《数理魔術》というジャンルを専攻していたことがあるとか。
「分かったなら良いわ。それで、ここからが本当に重要なことなんだけれど、私達の住むこの世界には、欠陥があるの」
「欠陥?」
「世界は普通、他の世界の法則に自らの持つ法則を破壊されることがないよう、世界観の境界――《概念境界》を持っている。しかしこの世界、即ち、あなた達にとっての現実世界の《概念境界》は完全ではない。損傷を受けているの。これの意味するところは分かるかしら?」
「世界観の境界の損傷……それって……」
 天上は、何かを察したかのように呟いた。
「世界観の侵食。世界観の崩壊。この世界にある筈のない法則による上書き。それを私は、《特異》と呼んでいる。それがつまりどういうことなのか」
 話を中断すると、突然、定理の姉貴はその場に立ち上がった。
「本当はやりたくないし、誰かにやらせたくもないんだけれど、こればかりは見せたほうが早いわね」
 親指を自身の首横に突き立てる姉貴。
 まさか姉貴のヤツ、自殺するつもりじゃないだろうな。
 俺のその予想が的中していることは、すぐに分かった。

『《虚数剣(アイ・ブレード)》――行使《ディフィニション》』

 姉貴は論理武装《虚数剣》を親指の先に適用し、勢いよく横に引いた。
 たったそれだけの動作で、虚数剣は空間に断線を生み、姉貴の首を切り裂いた。
「……え?」
 突然の行動に、天上が目を丸くしている。
 切断されて畳の上に落下する、姉貴の頭部。首の断面から噴出して足元の畳に広がる血液。
 かと思えば、瞬きしている間に、畳にかかった血液以外、つまり姉貴の首は元通りになっていた。
 あまりの現実味の無さに、天上は驚くことすらできていない。
「……手品、かな?」
 苦笑いしながら問うている。
 仕方のないことだ。俺だって、姉貴が死ぬのを見るのは4回目だが、未だに慣れない。慣れてたまるかというものだ。
「手品ではないし、幻影でもないわ。私は確かに今一度、死亡した。だけど私は、自らに押し付けられた、この世界の人間が持っていなければならない絶対不変のルールである"死"を打ち消した。私は死を殺したの」
「死を、殺す?」
「そう。これが特異の持つ力の応用例の一つ。勿論そんなことをすれば、この世界の損傷を広げてしまうことになる。だから本来は、絶対にそうしなければいけないときのみにそうするべきなのだけれど」
 死を殺す行為、死殺《オーバーライド》。姉貴曰くそれは、特異の最も冒涜的な活用法である。
 理想という名の特異を手にしている背理にもそれは可能だが、姉貴はアイツにも"出来るだけ死なないように"と度々忠告している。
 それを今行ったということは、やはり姉貴は本気で天上を今までの生活に返す気がないらしい。
「驚いたかもしれないけれど、実のところ、あなたにも同様の力――特異が宿っているの。あなたのそれは死を殺すほどの力は無いけれど、原理は私が持つ力と同じよ」
「特異……そんなものが私の中に?」
「ええ。そして、あなたの頭痛と記憶障害の原因は、あなたの持つ特異の性質に因るものなの」
 息を呑む天上。ようやく、自分に起きた異常と、姉貴が説明した、世界の真実についての話が繋がったからだろうか。額から汗が流れているのが分かる。
 "最近の頭痛は実は、異世界の法則に侵されていたことが原因となっている"。
 単なる話として聞いてしまえば全くバカらしい説だと思われそうだが、姉貴が実際に"有り得ないことが有り得る"ことを見せたため、信じない訳にはいかなくなっている様だ。
「あなたのそれは、この世界と相似構造を持っている或る別世界における、あなたのコピーのような存在に接続し続け、同期する性質を持っている」
 姉貴によれば、最もこの世界に近い別世界として、《偽世界》なるものがあるらしい。
 そこでは、この世界に住む各々の人間と類似した性質を持つ人間が生まれるという。こちら側と比べて、酷く環境汚染が進んでいてまともに食料が確保できなかったり、魔術が人々の間で一般的である等といった違いはあるらしいが。
「私の、コピーなんてものが?」
「ええ。そのコピー――対存在は、魔術が使える点で今のあなた自身と違うのだけれど、あなたは特異により彼女と概念境界を越えて繋がっている。だからあなたが望むことで、あなたの対存在の思考タスクに割り込んであなたの望む通りに、彼女が使用可能な魔術を使用することが出来る」
「それはつまり、今の私は、えっと、その……魔法が使えるということなの?」
「そう。ただ不運なことなのだけれど、接続能力を担っているその特異は、同時期にあなたを侵しはじめた他の特異によって破壊され、最後には恐らく完全に上書きされてしまう。そして、あなたの頭痛と記憶の異常は、それによって同期が取れなくなった時に発生する。一度同期してしまったあなたは、もはや対存在との繋がり無しにはまともに活動できなくなっているのよ」
 俺は、姉貴が何を言いたいかを、すぐに理解してしまった。
 だって、それはつまり、いつか天上の中に無くてはならない特異が破壊されたときには、天上自身も生きてはいられないということではないか。
「……おい、さっき"命に別状は無い"って言ったじゃねえかよ」
 暫くは黙っていた俺だが、口を挟まずにはいられなかった。
 しかし当の本人である天上は、俯いて両手を畳の上に突き、俺以上に狼狽している。
「私……死ぬのかな?」
「"命に別状がない"というのは今現在の話よ。誰も"永久に致命的になることはない"だなんて言っていないわ。それに私がここまで話したのは、私になら処置を施すことが可能であるからよ」
「じゃあ、姉貴ならコイツを助けられるんだな」
 何だ、助けられるなら問題は無い。まったく、驚かせやがって。
 安堵からか、天上が再び、ゆっくりと顔を上げた。
「ええ。だから私は、天上さんに二つの選択肢を提示する」
 選択肢? 姉貴は何を言っているんだ?
 姉貴が、天上をじっと見つめる。
「このままだと、一週間ほど経てばあなたの特異は復元不可能なほどに破壊され、あなたは死への道を進むしかなくなる。それを受け入れるか、それとも、私に協力する代わりに処置を受けるか、選びなさい」
「姉貴……そんなやり方はねえだろ」
 長い付き合いだから、姉貴がどういう人間かはよく知っている。こういう時、利用できるものは利用するのがコイツだ。
 同級生だっていうのに。こんな足許を見るようなやり方、よく出来るものだ。
「立場がどうだろうが関係ない。私には必要なことだから」
 対して姉貴は、こちらを見ることもせずに、冷たく言うのであった。
「一応言っておくけど、背理に頼ろうだなんて思わないことね。あの子の"理想"は、特異の修復に使えるような代物じゃない。干渉した瞬間に天上さんの方が崩壊してしまうわ」
 姉貴の奴、釘を刺しやがった。まあ、アイツが持っているものの性質を知っている俺は、最初からアイツに頼ろうなんて発想をしなかったが。
 アイツの"理想"は他者のルールを圧倒こそすれど、修復なんぞ出来る繊細なものではないからな。
 となると、論理武装を用いず、《演算》などによって直接特異に触れられるであろう姉貴の力を借りなくてはいけない。
「天上さん、あなたには合理と共に、私の出す指示に従って、特異などに関する、一般人の目に映らない問題の対処をしてほしいの」
「無理だよ。私にそんなこと、出来ないって……」
 天上の言う通りだ。俺自身それほど経験がある訳じゃないが、少なくとも姉貴の言っていることが危険を伴っていることは実感している。
 この前だって、あれ以上に下手をしていたらエーデルワイスに消されていたかもしれない。
 全くの素人である天上には無理な話だ。
「これから出来るようになりなさい。"まだ時間はある"から、時間をかけて慣れればいいわ」
 それが出来るほど、問題が簡単とは限らないだろう。
「いくらなんでも危険だ」
「ならば合理が天上さんを死守しなさい」
 すると、姉貴は横目で俺を見て、そう言った。
「……は?」
 なぜ俺なんだ。俺の能力が優れていないことなど、姉貴はよく知っている筈。
「泣き言なんて聞かないわよ。私にものを言うのなら、あなたが責任を持って、あなたの努力で彼女を守りなさい」
 結局、こういう場になって、即座に"俺が守ってやる"と言えないのは、俺が弱いからだ。
 散々偉そうなことを思っておいて、これなのだ。本当に頼りない奴。
「合理君……」
 天上が俺に顔を向けている。
 やめろ。こっちを見るな。責められているみたいだ。
 頼むから、俺みたいな下衆を頼りにしないでくれ。
 伏し目になっていく天上。
――クソが! 女にそんな風に見られて虚勢を張らない訳にはいかないだろう。
「分かった! 分かったよ! もし天上がそれでいいって思うなら、俺があんたを守ってやる。だから、あんたは生きてくれ」
 結局、バカ姉貴の提示した選択肢に従うしかないのは癪だったが、仕方が無い。
 ひとしきりの沈黙。
 その後、天上がゆっくりを口を開いた。
「東岸さん。東岸さんが今まで話してくれたことは、多分、本当なんだと思う」
「当然よ。私、嘘をつくの好きじゃないし、そんなことをする意味も無い」
「だから私、その、まだよく分からないことだらけだけど、東岸さんに協力することにする。死にたくないから……」
 普通に助けられた筈の姉貴が出した選択肢故、やり切れないものはあるが、ともかく天上がそちらを選んでくれて良かった。
 折角無理して虚勢を張ったのが無駄にならなかったというのもあるが。
「天上さん、迅速な決断に感謝するわ。長話で疲れたでしょう。少し休憩したら、早速処置を行うから」
「うん。分かった」
 今まで姉貴に振り回されてきたが、こんな状況は初めてだ。
 俺自身が他の、天上と同様に姉貴の協力者になった、或いはさせられた連中に直接会ったことがないという事情もあるが。
 まさか他人に屈辱を与えることで快感を得ようとするような下衆が、他人を守るだなんて事になろうとは、世も末だな。
 さて、本当に俺にそんなことが出来るのだろうか。
 このままずっと何も起こらなければそれに越したことはないのだが、もしそんな世界なら、天上が"こちら側"に来る必要も無かっただろうよ。


  • 最終更新:2015-09-29 03:46:28

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