5.《特異》

5.《特異》

【東岸合理】
 日はあの後、夕飯の時間までゲームに興じた。まさか天上が、あれ程に格闘ゲームが強いだなんて思わなかった。涼しい顔をしながら正確にコマンドを入力し、コンボを繋いでくるのだ。
 つい女の子相手に、しかもたかがゲームで、本気を出してしまったさ。それでも大敗だったのだが。
 いや、決して俺が弱いワケではない。ただ天上のヤツが俺のベッドに座ってゲームをやりやがるものだから、人並み、というか、自分の部屋に女の子を招いた一般的な男子高校生並みに戸惑っただけだ。
 俺はそこまでバカじゃないので、決して手出しすることは無かったが。別に、一時の気迷いに身を任せて、本心から好きになってもいない女を押し倒したりしたいとは思わないし。
 残念ながら、俺の性的嗜好はそんなにマトモじゃないんだ。
 天上は、俺達と一緒に、背理の作ったハンバーグを食べた後、帰宅した。
 調理に妙に時間が掛かったのは、途中でエーデルワイスがフライパンを食ったかららしい。事前に"フライパンはパンじゃない"と教えておかなかった背理が悪いな。いや、対象を単純な構造物に制限したとはいえ、右腕と左腕と右眼の力を完全に封印しておかなかった姉貴にも責任はあるか。アイツ、見た感じでは人間と同様の方法で飲食をして空腹を満たしても何ら問題ないと思うんだが、詳しいことは俺には分からんな。
 結局、姉貴の言う通り、昨日中に成果が出ることは無かった。微細な痕跡から、元となった特異の構造を把握する。俺には全くイメージが掴めないが、相当高度な技術なんだろう。

 今朝の目覚めは、まあまあ良かった。理由は、大して乳のない粗暴な妹でも、概念生物とやらのガキでもなく、胸の大きい同級生に優しく起こされたからなのだが。
 定理の姉貴から話があるそうなので、俺は起きることを強いられたらしい。多分、件の成果が出たのだろう。ご苦労な事だ。
 そして今はいつも通り、居間に集まっているワケだ。実のところ、姉貴は魔術によって、いわゆる"念話"のようなものを実現できるらしいのだが、口で伝えればいい事にわざわざ魔術を使うのが面倒なので、こうして、それなりに広い部屋に集め、食事を摂りつつ話をするらしい。
「さて。件の特異についてだけれど、照合が可能な位には復元が出来たわ」
 そう言う姉貴は、疲れを顔に出してはいないが、声色がいつもより少し暗かった。
 これは労っておかないとな。
「お疲れ、姉貴」
「いえ、それはいいのよ。しかし、また犠牲者が出てしまったわ」
 テレビのニュースでは、再びこの街で発生した、奇妙な出来事について取り扱われていた。
 今回の死体は、四肢と頭部を切断された後、その全てをすり潰されていた。僅かに残った肉塊からは、銃弾が肉を穿った痕跡のようなものが見つかったという。
 "痕跡のようなもの"というのは、肉に潜り込んだ筈の鉛弾が見つからなかったかららしい。不可解にも程がある。
 ただ今回のそれは、昨日の件の死亡事件と比べて、一つの共通点がある。それは、被害者が女性だということ。ウチの学校の生徒だ。
 逆に、一般的な視点から見出せるヒントなんぞ、それ位しか無いワケだが。
 しかし姉貴は、断定するかのように"また被害者が出た"と言った辺り、報道で話された情報から、何かを掴んでいるのだろう。
「犯人は同一だと考えていいのか、これ?」
 俺がそう聞くと、姉貴は少し間をあけて、頷いた。
「恐らくは。今のところそれはただの予想でしかないから、無論のこと、後でそちらも調べに行くつもりだけれど」
「姉貴は何を見出したんだ?」
「件の特異の構造は、天上さんの其れと同じどころか、それ以上に単純な構造体だったの。その性質は、"一意性"」
 "一意性"の特異?
「なんだそりゃ」
 今まで聞かされてきたものは、"矛盾を認めさせ、理想を貫く特異"、"現象を斬る特異"、"概念境界の外へ接続する特異"など、抽象的なれど、イメージのつく代物ばかりであった。
 その為か、"一意性"などと言われても、具体的にどういった性質を持つのかを全く想像できない。
「其の特異の宿主になった概念の一部を、常にそのものとして存在させることが出来る。例え世界のルールが変わっても、宿主の持つ、ある一定の性質だけは保存されるようになるのよ」
「それはつまり、犯人は特異の影響を受けず、死にもしないってことか?」
 天上にも分かりやすいよう、安直な発想によって簡単な表現にしてみるも、姉貴は首を横に振る。どうやら俺自身が分かっていなかったらしい。
「そこまで範囲の広いものではない。性質の一つを保護するのが限界で、その全存在を常に保存し、一定に保ち続ける訳ではないの。だから特異性だけを見るならば、犯人は殺せば死ぬわ」
 大体は理解することが出来た。例えば背理がその特異を宿しているとしたら、アイツ自身を守ることはないが、"アイツが理想と正義を求め続ける"という一点においてのみは保存する。つまりはそういうことだろう。
 しかしそうなると、ある疑問が湧いてくる。
「特異が異能を導いているワケじゃないんなら、被害者はどんな手で殺されたんだ? まさか、魔術師共の仕業か」
 "魔術師"と言ったのは何となくだが、実際、特異に因るものでないのなら、その可能性は非常に高い。
 社会の表側では、魔術は"オカルトマニアの妄言"という扱いをされている事が普通だが、本物の魔術師は、確かに存在しているのだ。
 しかも、それなりに多く。定理の姉貴は専門ではないものの魔術師だし、実のところ、櫻岡高校3年の生徒会役員の中には一人、魔術を知る者が混ざっている。また、俺達東岸の分家の中でも血筋が最も本家に近い、"第一分家"と呼ばれる連中の三人姉妹は、全員が魔術師だという。
 とはいえ可能性が高いだけで、"特異でないなら魔術"と、そう簡単に断定できるワケでもないのだが。俺自身が、そのどちらでもない技術を有していることだし。
「そうね、断定は出来ないけれど、その可能性は高い。弾頭無き弾痕から察するに、魔術で銃器を生成したのだと考えられるわ」
 なるほど。俺の魔術の知識なんて姉貴から聞きかじった程度のものだから、詳しいことは分からないが、それは確か、"減衰効果"というやつだろう。
 物体を生成する魔術では、生成したい物体そのものを作るのであって、原料から組み立てるワケではない。
 生成魔術が銃を創造するとき、それは"成形された鋼を組み立てた構造物"ではなく、"銃"という概念そのものなのである。
 故に生成魔術は対象の構造を分子レベルで把握していなくても使用できる反面、その生成物は存在としての純度が高すぎて、それを対象に生成魔術を使用し続けない限りは減衰し続け、やがて消滅する。
 つまり弾頭が消えたのは、これによるものであると考えられるという事だ。
「魔術師か……背理みたいなのを相手にするよりは圧倒的にマシだが、何にしても面倒くさいな」
 姉貴という、特例的な存在が身近に居るので忘れがちだが、平均的な魔術師は、概ね不器用だ。
 "この世界に存在するルールを乱用する"のが魔術であり、理論上は何でもできるのだが、実際的には、一つの魔術を安定して使うのに長い練習期間を要するといわれる。
 そのため、一部の天才を除く魔術師は、自分の得意な魔術を一つから、二、三種類使用するに留めることが一般的であるらしい。
 そもそも在るべきルールをぶち壊してくる特異より、余程に良心的だ。とはいえそれも飽くまで比較しての話であり、俺にとっては危険な相手であることに変わりはないのだが。
「なんだよ! 私関係ないじゃん! ねー、エーデルワイスちゃん」
 相手にしたくないヤツの例として引き合いに出したことに怒って、膝の上のエーデルワイスに同意を求める背理。
 もはやアイツは抵抗して暴れることをやめ、そこに座ることを受け入れていた。学習性無力感というヤツだろうか。
「ハイリおねーちゃんよりあっとうてきにマシだよ」
 しかしエーデルワイスは半目で、そんな風に言うのであった。
「ねえ、今"おねーちゃん"って呼んでくれたよね! 嬉しいなぁ」
 何だコイツ、反抗的な態度を取られたことは別に良いのかよ。ホント、女には甘いのな。
 ふと、背理の茶番を遮って、不安げな様子の天上が声を出す。
「そ、その……」
「何かしら、天上さん」
「犯人が分かったら、合理君と私が戦わなくちゃいけないんだよね……?」
「今回はそうさせるつもりだけれど。あなた達に経験を積ませたいから、私も背理も手を出さないつもりよ」
 それを確認した天上は、震えていた。恐らくは、恐怖で。
「私、ちゃんと力が使えるか不安なの……。前だって、咄嗟にやっただけで、あの時は自分が自分じゃないみたいだったし……」
 そういえば、コイツはあの日から一度も、力――魔術を使っていなかったな。
「俺が守るっつったろ。だからあんたは無理しなくていい」
 下手な事をして俺やコイツ自身が被害にあったらたまったものではないし、必要もなく犯人を殺してしまってもいけない。
 別に殺すことが狙いじゃないんだ。凶行を止められれば、命まで奪う必要は無い。
「う、うん……でも……」
 まだ何か言いたげの天上に、定理の姉貴が言い放つ。
「足手まといになりたくないと思うのなら、あなた自身が頑張りなさい。特異はそれぞれの固有性が非常に高いから、適切に扱う方法なんて、私でも教授できない。それでもアドバイスするとしたら、"自分はこの世界を凌駕するのだ"と、本気で願いなさい。その意志が、特異の発現を導く。そしてその思考が、世界を超える」
 特異の発現は、宿主がこの世界を超えようと願う意志がトリガーになっていると、姉貴はよく言う。
 しかしそんなもの、天上に抱くことが出来るのか。いいや、仮に出来たとしても、俺はそれを望まない。
 これは、"俺と同じ立場の仲間が居なくなるのが嫌だ"という我侭を多分に含んでいるのは自覚している。だが、それでも。
 俺が天上を守るしかないんだ。
「さて、話が逸れたわね。この後は事件現場に行くから、背理、それと合理に天上さんも一緒に来て。その場で、昨日の殺人と犯人が同一であるという予想を確定させたうえで、照合結果を話すから」
 それを俺達に告げると、姉貴は食器を片付けて、鞄を持ってさっと出て行った。

 事件現場の公園には既に被害者の残骸は無かったが、未だに規制テープが敷かれ、警察官も見張っていた。
 俺達は、建物の陰から様子を窺っている。正直なところ、かなり怪しい連中に見えるだろうな。
「おい背理、お前昨日どうやって潜入したのか分からんが、怪我はさせんなよ?」
 背理の信条を鑑みれば余計な心配だろうが、一応警告はしておく。一応。
「うっさいなあ。私が怪我させるのは汚職警官だけだって。それに私の《剣》はそんなに不器用じゃないしさ、ほら」
 苛立ちを顔に出しつつそう返した後、背理は小声で呟いた。
 
 『《理想剣(ブレード・オブ・アイディアル)》――行使《ディフィニション》』

 理想剣。恐らく、押し付ける矛盾は、"見えている自分たちは見えていない"。下す理想は、感覚規制。
 その後、姉貴と背理は、隠れるでもなく堂々とテープを越え、事件現場へと入っていく。
 それから少し姉貴が現場の中央をうろうろした後、すぐに戻ってきた。
 こんなところに居るのを警官なんかに見つかったら面倒な事になりかねないので、取り敢えずここを離れ、通学しつつ、姉貴に話を切り出した。
「どうだ? 何か掴めたか?」
「ええ。やはり昨日の現場と同じ痕跡だったわ。犯人は同一だと思って間違いない。そこから復元された特異構造は、私のメモリーにも存在するものだったわ」
「なるほどな……それで、一体どんなヤツなんだ?」
 破壊的な性質を持たないとはいえ特異を宿し、少なくとも銃器を生成する魔術――素手で弾丸を撃った可能性も捨て切れないが――、切断魔術、圧力魔術を使用できると推測される魔術師。
 そんな危険極まりないヤツが凶行を繰り返しているんだ、俺が全力で戦わねば、天上にも被害が出るだろう。
「供道輪廻。櫻岡高校2年D組の女子生徒よ」
「え……?」「は……?」
 姉貴の語った犯人の名を聞き、俺と天上は驚愕を隠せず、その場に立ち止まる。
 それを知る前に覚悟を決めておかなかったことを後悔した。そんな可能性、否定し切れる筈もないのに。
 きっと昨日あの時、アイツと会うことが無かったなら、今こうして冷や汗をかくことも無かったのだろうか。
「あなた達は確か、昨日の朝に遭遇していたかしら。なら顔は分かるわよね」
「……供道と会ったことがあるから驚いてんだよ」
 あんな、いかにも人畜無害といったようなトロい女が、なんだってそんな事をするんだ。
「何かの間違いじゃ、ないのかな……?」
 天上も否定したい様子であった。供道のあんな姿を見ていれば、多分、誰だってこうなる。
 それに、まさか同級生にこんな事件を起こした犯人が居るなんてこと、簡単に想像は出来まい。天上は今や一般人の常識の範疇に収まらない人間であるかもしれないが、少し前までは、その常識が全てだったのだから。
「間違いではないわ。確かに彼女の特異構造と、事件現場の痕跡から逆算した特異構造は一致した。動機までは分からないけれど」
「同級生と戦えっていうのかよ……」
 外の街から来た魔術師と戦ったりしたことはあったが、こんな事は、初めてだ。
「同級生であろうがなかろうが、今の彼女は万人にとって害悪なの。止めなさい。合理、それに天上さん。供道さんを殺してしまう心配をしているのならば、それはあなた達が上手くやればいいだけの話よ」
「そんな事、出来ないよ……」
 暗澹とした表情の天上。何度か戦闘経験のある俺がこれなのだから、コイツに受け入れられる筈もあるまい。
 しかし、そんな態度を見ても、姉貴は、そして背理も、容赦なく言い切る。
「あなたが出来ないなら合理がやるだけよ。合理がもしどうしても出来ないというのなら、背理や私がやる。ただその場合、私も背理も、命を奪う方向にいくことになるわ」
「私としては今更殺しを止めようが、赦すつもりはないからね。昨日だけなら良かったけど、だって今日殺したの、普通の女子生徒だったし」
「クソッ……!」
 俺はついそう吐き捨て、電柱を思いっきり蹴りつけてしまった。《練気》はしていなかったので、ただ俺が足を痛めるだけで済んだが。
 赦すとか赦さないとか、コイツらは何様のつもりなんだよ。これだから家の連中は嫌だったんだ。
 誰だってあんたらみたいに特別で、しかもそれを当然のものとして受け入れられるワケじゃないんだ。それなのに――。
「どうして、背理さんや定理さんは平気なの?」
 天上が胸を押えながら訊ねた。
「全てにも益して優先される、一貫した思想や目的。その前では、一時の感情など瑣事でしかないものよ」
「そう、私には理想がある。だから私は《理想剣》を誰よりも、それこそ発見者の姉貴よりも上手く使える。"きっと私はアレを持つために生まれてきて、アレは私に持たれるために生まれてきた"って思える位にね。私自身が一振りの、理想で出来た剣なのさ」
 一貫した思想。目的。そんなもの、俺は要らない。
 俺はどこまで行っても只の腐った、一時の感情に流される人間だ。一貫なんかしてたまるか。
「……俺がやる。姉貴と背理は手を出すな」
「そう。分かったわ」
 大丈夫だ。俺なら出来る筈。今までだって、誰も殺さずに撃退してきたんだ。《発力》における力の調節だって、大分慣れてきた。
 あんな鈍くさい女を殺さずとも止められないようじゃ、天上だって守れやしないんだ。

 学校に着いて俺はすぐ、D組の教室へ向かい、供道が登校してきていることを確認した。
 アイツは自分の席に座って、他にも多くのクラスメイトが居るにも関わらず、誰と話すでもなく一人で俯いていた。まるで俺みたいだな。
 やはりこんなヤツが、ニュースで流れたような無残な殺しをするとは思えない。そう思うのは、洞察力の無さ故だろうか。
 まあ何にしても、接触して真実を確かめるのは今じゃなくていい。
 もし供道が今日も人殺しをするというのなら、その場に割り込んで止めさせればいいだけの話。
 ストーカー紛いの事をする羽目になるが、そんなことはこの際、気にしてはいられない。
 供道が此方に気づいてその場で軽く会釈をしたので、俺は繕った笑顔で返した後、すぐに自分の教室に戻った。
 1秒でも長く、アイツと関わっているのが怖かっただけだ。だって供道は、俺を殺すことになるかもしれない相手で、俺が殺すことになるかもしれない相手なのだ。
――ダメだ。今ネガティブになっても、良いことなんて一切無い。
 どうした、俺! あんなに可憐な女の一人や二人、もし殺しなんかしようとしたならば、すぐに嘔吐させて黙らせる位の気持ちで居ろ。
 その後は、休み時間の度に供道の様子を窺っていた。
 授業中もアイツの事ばかり考えていて全く授業内容に集中できなかったが、今日位は許してもらわないと。
 そして、放課後。
 俺は供道のヤツにバレないように後をつけ、アイツの家の前で張り込んだ。
 天上にも一応、ついて来てもらっている。最初はコイツを置いていって、強制的に関与できないようにする事も考えたが、そうなると姉貴が何をしだすか分からない。
 暫くは何も無く、それは、俺たちの心が油断しかけてきた頃の事であった。
 叫び声。供道の家の二階からだ。恐らくは供道の声なのだろうが、学校では、小声のぼそぼそとした喋りを聞いただけだったから、驚きを禁じえない。
「なにがあったんだ?」
「分かんない。でも、すごく苦しそう……」
 供道の苦悶の声は、地上に居る俺達にすら届いて来る。明らかに異常だ。
 それから数十分、供道は絶叫し続けたかと思えば声は止み、止んだかと思えばまた悲鳴を上げる、その繰り返しだ。
「定理さんに言ったほうがいいんじゃないかな?」
 天上の提案だが、それは余りにも愚かな発想だ。姉貴を過信し過ぎている。
「ダメだ。今回のアイツらは多分、マジで殺して終わらせるつもりだろう。俺達を試してるんだよ。ふざけやがって……!」
「そんな……私みたいに助けてくれたって……」
 姉貴が天上を助けた理由は、利用価値があるからだろう。即ち。
「姉貴はもう供道が使い物にならない事を知ってるんだろうな。その上で俺達に対処させたんだ。"助けられるものなら助けてみろ"ってな。だったら望み通り、そうしてやるだけだ」
「出来るの?」
 俺の目を覗き込んでくる。そんな風に見られたら、出来ないとは言えないじゃないか。
「わかんねぇけど、やってみるしかないだろ。だからあんたは心配しなくていい」
 今でも相当参ってるというのに、心配事が増えて、調子が狂っちまうからな。

 数時間、俺は耐え続けた。悲鳴から察するに、供道はもっと大きな苦しみを抱えているんだろうが、その悲鳴は、それを聞いても何も出来ない俺の精神まで削っていった。
 通行人が無いワケでは無かった。人通りが少ないとはいえ皆無ではないのに、ソイツらは何故か、この異常な状況を気にも留めないのだ。
 それだから、アイツと一緒に苦しんでいるのは、俺達だけだった。
 そして、夜。腕時計を見てみると、もう深夜0時に近い。
 供道のヤツが、酷く憔悴した様子で家から出てきたのだ。あれだけ苦しんでいれば当然の事だが。
 足元も不確かな状態でゆらゆらと歩き出す供道。
「おい、天上、行くぞ」
「えっ……? う、うん……」
 呑気な事にも、こんな時に眠そうにしている天上の肩を揺さ振り、気づかれないように追いかけた。
 何、単にアイツが深夜の散歩を好んでいたり、或いはコンビニに行きたくなったりしただけで、何事もなく帰宅してくれればそれでいいんだ。
 まあ、あんな、鈍くさい癖に良い体した女が深夜徘徊なんてしていたらそれこそ不良共の毒牙にかかりかねないが、その時は俺が助けてやる。
 暫く供道を追跡していたが、アイツは同じ道を行ったり来たりすることもあり、何処か目的地があって歩いているようには思えない。
 やがて、街灯に照らされている、櫻岡市の南端を通る鉄道の路線となっている高架橋の下に差し掛かったとき、供道は、何かを見つけたように急ぎ足になる。
 アイツの見る方向の先には、女が居た。見た目から推測するに、仕事帰りのOLだろうか。
 供道の知り合いなのか、それとも――。
「助けてください……!」
 供道が、無理やり絞り出したような声で、その女に何らかの助けを求めているのが聞える。
「私、もう苦しくて、嫌なんです……だから助けてください! あなたなら私を助けられると思うんです……」
 助けを求められたOL風の女は明らかに、状況が分からず困惑している様子だ。
 不審者に遭遇したが如く、怯えて供道の横をすり抜け、立ち去ろうとするが、しかし。
 内容はよく聞えなかったが、供道が小声で何かを呟くや否や、走り出した女の体は、石像のように硬直する。
「あなたもなんですか? あなたも忘れた振りして、私を無かったことにするんですか!?」
 供道は、泣き叫んでいた。そして――。
「天上、此処で待ってろ!」
 "供道を疑いたくない"という思考よりも早く、体が動いた。
 あらゆる思考に割り込みをかけた"とにかく止めねば"という意志は、そのまま俺自身の体内で《練気》を促す。
 体の中心で渦巻く、力学的なエネルギーに変換可能な"気"の流れを感じつつ、両足に《導気》して、すぐさま力を放った。
 弾丸のように加速し、肩から供道へと突撃していく。
 突然の奇襲で驚いたように目を見開き、そのまま道路の上を転がっていく供道。
 それによって何かしらの拘束が解けたのか、固まっていた女は動き出し、悲鳴を上げてそのまま何処かに走り去っていった。
「どうしてっ……!?」
 疑問を口にしながら、徐に立ち上がる供道。
 それ程に力を与えて衝突したつもりはないのだが、既にアイツはよろめいていた。
「そりゃあこっちの台詞だ、供道。本当にあんたなのか? 殺したのは」
 そんな風に最後の確認する俺は、まだコイツが犯人だということを認めたくないという部分があったのだろう。
 姉貴の導出という、忌々しいほどに信頼性の高い証拠があるというのに。
「だって、仕方がなかったんです……。誰も私を助けてくれなかったから。居なくなってもらうしか無かったんです」
 小さな声ではあるが、そう明言して、俺の期待は打ち砕かれた。
 なんでコイツは殺人なんか犯しちまったんだ。"助けてくれなかったから"?
「あんたの身に何が起きてるんだ? 俺が協力してやるから、もうこんな事は止めろ!」
 俺はコイツの傍にずっと居たワケじゃないから勝手な想像だが、ごく短い間の観察から思うに、コイツはもしかすると、今まで誰にも頼ることなく生きてきたのかもしれない。
 恐らくは、特異に汚染されてからは何も分からないままにその存在性を"こちら側"へ引き摺り込まれ、誰にも相談できず、一人で抱え込んでいたんだろう。
 それなのに姉貴も背理のヤツも、そんな供道を見捨てやがった。アイツらなら、少なくとも俺よりは何とか出来るかもしれないのに、その努力を放棄した。
 だから、俺がコイツの力になってやるしかないんだ。
「……やっぱり優しいんですね、東岸さん。でも、無理です。あなたに私は助けられないと思います……」
 また"優しい"か。何度言えば分かってくれるんだよ。
「俺は優しくなんかないっつってるだろ! だから、あんたに何を言われようが自分勝手に救ってやる!」
「無理だって言ってるじゃないですかっ! 邪魔しないでくださいっ!」
 供道は、双眸から涙を溢れさせて叫んだ。
 そして、両腕を交差させ、宙に何かを描くかのように指先を走らせる。
 魔術師の性質を姉貴から叩き込まれている俺は、何故コイツが魔術を使えるのかはともかく、それが魔術における一つの詠唱方式であることはすぐに分かった。
 構陣詠唱。ある図式を描くことを、対応する魔術を起動するトリガーとする方法だ。
――クソッ! やるしかないのか!
 供道に戦意があることを確認し、即座に、再び《練気》を行い、気を体内に固定化させた。
 同時に供道は、空中から取り出して引き抜くかのように、両手に拳銃を形成する。そして、発砲。
 それより少し早く、俺は1度だけ、瞬きをした。
 その間に、体内クロックを、単なる電気信号から、より根本的なレベルに存在し、更に高速に動作する精神伝達に同期させる。
 身体の駆動系と共に思考も高速化し、発砲された弾頭が迫ってくるのが目視出来ている。
 供道はどう見ても銃の扱いに慣れているとは思えないのに、それは正確に、俺の頭と心臓を射線上において飛来してきている。
 俺は僅かに身体を逸らして、それらの弾を避けた。
 もう1度瞬きして、体内クロックの加速を停止させる。
 体内の精神流、いわゆる"気"をコントロールして格闘戦を行う《斑鳩法》。これはその応用例の一つである。
 欠点は、肉体的神経伝達を、より高速な精神伝達に同期させるという無茶をすることになるため、基本的にごく短時間の使用に限られるという事だ。
 まあ、自分の取るべき動きを予知することで、目視せずとも弾丸を叩き落したりする俺の師に比べれば、まだまだ弱いんだが。
「えっ……? なんで……?」
 寸分の狂いもなく頭部と心臓を撃ち抜いて殺した筈の俺が、何ら傷を受けることなく立っているという事実に狼狽したのか、供道は両手から銃を落とした。
 それが地面につくよりも早く、俺は足元に《発力》して、再び距離を詰めようと試みた。
「10、22、9……!」
 三つの数字を叫ぶ供道。
 知っている。それも経験済みだ。"Malchut,Tav,Iesod"。"基礎から世界、世界から王国へ"。
 となれば、高い確率で、構造物に沿って、物体による物理的攻撃が行われる。
 今、周囲にある構造物は――。
 俺は、《発力》の方向を後ろ向きから下向きへ急速に変化させ、背にした高架橋よりも高く跳んだ。
 果たして俺の予想通り、魔術によって、白い杭のようなものが道路を貫いて現れた。
 そのまま慣性によって前方に進み、供道の後ろに着地する。
「10、22、9、18、7、14、6!」
 再び数字の列を詠唱しつつ、同時に振り向く俺と供道。
 "Malchut,Tav,Iesod,Tsadi,Netzach,Nun,Tiphereth"。"美から死神へ、勝利へ、星へ、基礎へ、世界へ、王国へ"。
 美。星。光。見た目。視覚。殺傷。
 供道が俺を見るよりも早く、俺は左手で供道の両目を塞いだ。
 そして同時に、右手で腹部に打撃を与えようとする。
 しかし供道は、軽く右のつま先で地面に半円を描いたかと思うと、そのまま右手で俺の打撃を受け止めた。
 軽度の《発力》しかしていないとはいえ、俺の打撃を、こんな華奢な腕で。
 しかも、幾ら力を入れても全く手応えがない。
 供道が魔術により、力学的なエネルギーを打ち消しているのだという事を予想した俺は、一旦手を引き、続いて《発力》により距離を一瞬で詰め、跳び上がって高架橋の上に移動した。
 さっきアイツが詠唱によって準備した魔術は恐らく、目視による破壊。
 一般に、詠唱が複雑になるほど、実現できる魔術の種類も増えるため、実際のところ、そういう類のものだと当たりをつけたのは賭けだった。
 アイツの目を隠して視界を奪った結果、何も起こらなかったことから、予想は正しかったと言える。
 つまり、こうして視界の通らない位置を取って、再び奇襲を仕掛ければいい。
 それにしても、供道のヤツは本当に、何者なんだ。
 最初は構陣詠唱を用いていたのに、さっきは、魔術における基本概念の一つであるセフィロトの樹のパスとセフィラの番号を詠唱する、数値詠唱に切り替わっている。
 そして、俺の打撃力を霧散させたと思われる魔術には、再び構陣詠唱が使われている。
 通常ではこんな風に、複数の詠唱方法を使ったりはしない。何故ならば、メリットに比べて、圧倒的にデメリットの方が大きいからだ。
 詠唱を使い分けるメリットなんて精々、撹乱程度のもので、使い慣れた詠唱方法だけを使い続けることによる安定性を無視してまで優先すべきものとは考えにくい。
 敢えてそれをやるという事は、供道は相当に器用な魔術師ということになる。
 実際にアイツは、かくも多様な魔術を見せているのだ。一体どの様にこれだけのものを身に付けたのか。
 或いは俺の師のように、実年齢と外見の年齢が大きくかけ離れているのか。そんな風には思えないが。
 まあ、供道のことは後で本人に聞けばいい。今は落ち着かせることが先決だ。
 さて、どう出る――?
 ふと、足元がぐらついた。
 俺の脚ではない。高架橋そのものが傾いている。
「86、86、86、86……!」
 下から、数値――先に行った数値詠唱の合計を詠唱することで効率化している――を叫ぶ声が聞こえる。
 アイツ、橋脚を、そして橋そのものを砕いてやがる!
 俺はすぐに、アイツの声が聞こえるのとは反対側に飛び降りた。
 全く、こんなに無茶な女だったとは。これだけ派手にやっても誰にも気づかれない辺り、恐らく何処かで姉貴か背理のヤツが呑気に見てやがるんだろうな。
 恐らく正面から行っても勝てる見込みは薄い。
 俺の武器は結局のところ、自分の身体だけだ。それに対してアイツは、その多芸振りから、どんな距離でも戦えるように思える。
 やはり不意打ちを狙うしかない。
 そう思い、《発力》により、急いで瓦礫を回り込もうとした俺だった。
 しかし、何の前触れもなく、俺の足は地面に縫い付けられたかのように動かなくなり、転倒する。
「何ッ!?」
 急いで上体を起こして顔を上げるが、目線のすぐ先には既に、供道が立っていた。
 そしてアイツは、右手で地面を指差した。
 何の詠唱も介さず、たったそれだけの挙措で、俺は再び地面に這い蹲る。
 コイツ、そもそも詠唱をせずとも魔術が使えるのか――!
「酷いです、東岸さん」
 供道は、動けなくなった俺をすぐに殺そうとはせず、そう言った。
 ぽろぽろと涙を零しながら。
「そりゃあんたの方だ」
 最後の最後までちょっとは信じていたのに、こんな事しやがって。
「なんであなたは会ったばかりの私に、こんなに優しくしてくれるんですか……? 家族だって、クラスの人だって、みんなみんな、私を無視してきたのに」
 そうか。コイツは今までずっと一人ぼっちだったんだな。
 それなら尚更、何もしないワケにはいかないだろうが。
「言ったろ。他のヤツがどうだかは知らねぇが、俺は当たり前のことをしているだけだ」
「でも、やっぱりあなたじゃ無理なんです。それなのに、私に優しくして、狂うしかなかった私を半端に正気に戻してッ!」
 語気を荒げる供道。迫力はそんなにないが。
「そりゃあ悪かったな……俺は元々、そんなに優れたヤツじゃないんだよ」
「許しません……。せめて、私の最後の正気の残り滓と共に、消えてください……!」
 供道は、這い蹲りながらも辛うじて夜空を仰いでいる俺に、左手をゆっくりと翳した。
 駄目だったか。
 俺は負けた。だが、俺が心配しているのは、自分の死じゃない。まず間違いなく姉貴か背理が現れ、供道を殺す。
 それは結局、俺にとっては敗北なのだ。
 しかし、俺を救ったのは、姉貴でも背理でも無かった。
「え……?」
 供道が汗を垂らしている。魔術を行使した筈なのに、何も起こらなかったからだろうか。
 天上が、その対象と同じように、左手を供道に掲げていた。
 アイツは息も絶え絶えで、その両足は震えていた。
「天上、お前……!」
 一体何が起きた? 何が起きたが故に、何も起きなかったんだ?
「あなた……まさか、私の加速魔術に加速魔術を……! どうしてそんなことが……!」
 供道は、頭痛に苦しむように頭を抱え始めた。
「分かりました。あなたですね。あなただったんですね。あなたを殺せば私は救われるんですね……!」
 かと思えば天上を見据え、俺を無視してアイツの方に一歩を踏み出す。供道は、完全に殺意を持っていた。
 一方俺は、不可解な拘束から解き放たれていた。
 マズい――!
 素人の天上がコイツと戦って勝てる筈がない。恐らくは、殺されちまう。
 それだけはマズい。
 俺は、供道が気配に勘付くよりも速く立ち上がり、アイツの背中を目がけて、《発力》を行った渾身の一撃を叩き込んだ。
 恐らく供道の力量から見るに、アイツはまた、何らかの手段で防いでくる筈だ。
 しかし、隙は作れる。その間に天上のヤツに逃げてもらう。それで――。

 腕に、妙な感触を受けた。何か、そう硬くはないものを貫いたような。
 まさか。いや、そんな。供道は、俺の攻撃なんて軽くあしらう筈だ。じゃなかったら、さっきの戦いは何だったんだ。
 ぬめっとした、気持ちの悪い感じ。冷や汗。自らの心臓の鼓動。それらが全てグチャグチャに混ざって、頭の中を廻る。
「嘘、だろ……?」
 俺の腕は、供道の背中から腹部にかけて、風穴を空けていた。
 供道の身体から力が抜けていくのを感じる。
 そして、俺にもたれ掛かって、嗄れた声で言うのだ。
「痛い……。痛いです……。すごく痛いです……。でも、あなたに会えて、ちょっと嬉しいです」
「何だよ……どうして俺の攻撃を受けたんだよ……あんたなら避けられた筈だろうが……」
 ひどく脱力して、俺は腕を引き抜き、息絶えそうな供道を抱えたまま、地面に座り込んだ。
「東岸さんに殺されるなら、それも救いなのかなって、思っちゃったんです」
「あんたにはまだ聞きたいことがいっぱいあるんだ! だから、ほら、何か治療魔術とかあるんだろ! だから死ぬなッ!」
「東岸さん、ありがとうございます……。本当に、優しい人ですね」
 コイツ、何度言えば分かるんだよ。俺はそんなんじゃない。
「俺は当たり前のことを――」
 言い終わる前に、供道の身体は完全に魂を失い、息を引き取った。
 俺の所為だ。
 何が"救ってやる"だ。偉そうな事ばかり言いやがって。結局、自分の手で殺すことになっただけじゃないか!
「クソッ!」
 血に染まった手で、地面を殴った。手を傷めただけだった。
「合理君……」
 天上は俺の名を呼んだが、それ以上近づいてくることは無い。
 しかし、それとは別の気配が近づいてくる。
「あなたは最適解を選んだ。後悔する必要はないわ」
 気配の主は、俺の神経を逆撫でするようにそう言った。
「姉貴……こんなのが最適解だって言うのかよ……。俺はこんな展開、望んでなかった……」
「彼女は、死ぬしか無かったわ」
「そんな言い方ねぇだろ!」
「事実だもの」
 駄目だ。姉貴は、供道の事なんか、微塵にも気にしていない。
 コイツの言っていた"みんな"の中の一人でしかない。
 いや、所詮は"救おうとしたか、それすらしなかったか"の違いでしかない。結局俺はコイツを殺しちまったんだから。
「……暫くは、黙っててくれないか」
「ええ」

 何分か、何十分か経っただろうか。
「どうしてコイツは死ななきゃならなかったのか、知ってるなら教えてくれ」
 未だに気は落ち着かなかったが、それを聞かなきゃならないと思える位には、多少の精神的余裕は出来ていた。
 姉貴は、既に亡骸となった本人の前で、淡々と語り始める。
「供道さんは特異の他にも、ある力を宿しているの」
「ある力って?」
「始原識の力。供道さんの始原識は、"継承"」

 始原識。
 それは、特定の人間が生まれたときに最初に見るイメージであり、その者の運命の傾向を決定付けるものだと、昔に姉貴は言っていた。
 それは良くも悪くもその通りに、本人の性質だけでなく、境遇に左右してしまう。
 特異が"この世界のルールの超越"だとしたら、始原識は、本人の中で独立した、確固たるルールを所有していることに当たるだろう。

「"継承"、か……」
「そう。彼女は、ある"継承"の始原識を持つ系列の中の一人でしかない。彼女は、その系列に存在する過去の人間の記憶や技術を、全て持っていたの」
「コイツ、そんなものを……」
 つまり、供道の使っていた魔術は、供道本人のものではなく、過去の同様な始原識を持っていた魔術師達の技術が、供道に継承されたことによって成立したものだったのか。
「ええ。そして彼女は、歴代の彼女への継承者が死亡する瞬間の記憶も全て持っているのよ。供道さんはある時、自身の力に覚醒して、死の記憶を思い出してしまってそれを忘れられなくなり、気を狂わせてしまった」
 供道が、何に苦しんでいたか。
 コイツは、生きながらにして、死に続けていたという事なのだろう。
 そんなの、あまりにも酷というものだ。
 特にこんな、大人しく、弱々しい女には。
「助けられなかったのか……?」
 今更何もかも遅いが、聞くだけは聞いてみよう。
「無理よ。言ったでしょう、始原識は、それを持つ者の本質であり、中核を成している。手出ししようものなら、その人物という概念を破壊してしまうことになるわ」
「そうかい……」
 コイツは、こうなる運命だったのか。
「それでも、彼女は助けを求め続けた。大方、死の瞬間の記憶に映っていたのが女性で、その人物を探し出せば何とかなると思っていた、という所でしょうね」
「"俺には助けられない"って、そういう事だったのかよ……」
「恐らくはね。別に、彼女の記憶まで覗いた訳ではないから、単なる予想だけれど」
 全て、空回りだったか。
 自己満足だって自覚はあった。それでも、結局俺は実際的にも、精神的にもアイツを救えなかったんだと思うと、やはり悔しくなるな。
 いや、本当にそうなのか?
 アイツは仕切りに、俺のことを"優しい"と言っていた。
 そして、他の"みんな"は、アイツの事をずっと無視していたという。
 もしかすると俺は、少しでも供道の助けになれたのかもしれない。
 "死が救い"だなんて、反吐が出そうな位にバカげた事は考えたくもならないが。
 アイツが最期に述べた感謝の意味は――。
「なあ、姉貴。どうして俺だけは、アイツと関わり合いになることができたんだろうな?」
 それを聞かれた姉貴は、少しの間だけ迷いを見せたが、やがて口を開いた。
「合理、あなた、自分で気がついていないの? まあ私も、今の今まで気づかなかったんだけれど」
「何がだよ」
「あなたの特異が発現したのでしょうね」
「……は?」
 俺の特異?
 俺はそんなもんに感染された覚えは無いぞ。実際、精神状態や肉体的状態に、日常の閾値では収まらないような変化はこれといって無かった。
「知ってる? 私は今、あなたに対して《虚数剣》を行使しているのだけれど」
「そんなワケあるか」
 あんなものを食らっていたら、既に俺は斬り裂かれて死んでいる。
「いいえ、これがあなたの特異の力なのよ。合理、あなたは今、無意識に私の《虚数剣》を消滅させている」
「……マジかよ」
「ええ」
 いつの間に、そんな力が?
――いや、俺の力そのものの事なんて、後で幾らでも考えればいい。それよりだ。
「それと供道、どう関係があるんだよ」
「供道さんが、自己概念を固定化させる特異を持っていたのは話したわよね。彼女はそれを持つが故に、一つの独立した個体として確立されてしまった。だから、特異に守られた彼女の内面に触れられるものは居なかったの」
「それを俺が、知らないうちに打ち消してたってことか……」
 俺が例外性を手にしていたからこそ、供道にとっても例外的な存在になることが出来ていたのか。
「認めていいもんか、分からんな……」
 ワケの分からない力のお陰で、ごく短い間とはいえ、供道の支えになれた。
 しかしそれが無ければ、俺だって、アイツの心に全く触れることが出来なかっただろう。
 それは結局、特別性で他人を冒していたことになるんじゃないだろうか。
「形はどうあれ、あなたが彼女の助けになったのなら、それは最適解よ。自分ではなく、本人の目線でものを考えなさい」
「そうかもな……」
 もう居なくなっちまったから、本意なんて分からないが。
「そして、今回の事で分かったと思うけれど、足掻いてもどうしようもない事はあるものよ」
「それでも多分俺は、足掻き続けるさ」
「それならば、世界を超越なさい。どうしようもない法則があるならば、その法則を塗り替える程の超越を求めなさい。私は、そうしてきたわ」
 空を仰ぎ、遠い目をする姉貴。
 "世界の超越"か。
 悪いがそんなもの、俺には要らない。
 だって、この世界に立ってなきゃ、きっと供道のヤツを助けたいとも思えなかったから。
 ああ、もしかしたら、俺の宿した特異とやらは、世界の超越を否定する意志が形になったものなのかも知れんな。
「いや、この世界から出てたまるかって」
 俺の返答を聞いた定理は、ひどく呆れた顔をした。
「あなたはどうしても打ち勝てない壁にぶち当たったとき、負けると分かっていても正攻法で行くのかしら?」
「ああ、多分な」
「性的嗜好は歪んでる癖に、バカ正直なのね」
「悪かったな」

【東岸定理】

 合理のフォローはこの辺りにしておきましょう。
 私は、少し離れたところに座り込んで呆然としている天上さんに近づいていく。
「天上さん、大丈夫?」
 声をかけると、天上さんはゆっくりと顔を上げた。苦しげな面持ちだった。
「私、やっぱりずるい人間だ……」
 それは天上さん自身の性格の事を言っているのだと思われる。
 記憶を盗み見た訳ではないから理由は分からないけれど、この子は、"あらゆる人間関係は、利害の関係である"という認識を人並み以上に強く持っている。
 その為、他人の同情や助力を買うために必要ならば、自身の感情に関係なく、振舞うのだ。
 きっとこの子は、弱者への共感が強い傾向にある合理に迎合するために、供道さんに同情を寄せる風な態度を取ったのでしょう。
 しかし、本心から供道さんに対して同情を寄せることは出来ない。
 何故ならば彼女の心は、特異によって、外界からのインプットやアウトプットを遮断されているから。
 むしろ、普段から本心を軽視しているから、供道さんに対して、上辺だけでも同情することが出来たのだろうけど。
 そして天上さんは、それが出来るからこそ、良心の呵責に苦しんでいる。
 そんなの、気にする程の事でもないと思うのだけれど。
「ずるくては駄目なのかしら。全くずるくない人間なんて、まず居ないわ」
「そんなの、良くないよ……。嘘、ついてるんだし」
 どうやら天上さんにとって、嘘をつくのは、それがどんな性質であれ、常に良くないものであるらしい。
 ならば何故、そんな性質を身に付けた? そうした方が良いと思ったからではないのか。
「あなたはその嘘で、誰かに損失を与えたのかしら。それはないと思うわ。だって、あなたの思う"利害関係"って、概ね両得のものであるでしょう?」
「確かに、誰かを苦しめることで利益を得ようだなんて思ったことはないけど……。でも、それだって結局、"リスクが予想されるから"っていう理由だし……」
 つまり、"リスクが無ければ容赦なく他人を騙して利益を得るかもしれない"から、その理由に問題があると。
 でも、現実にはそうなってないのだから、何も問題ないじゃない。
「理由はどうあれ、あなたのその価値観は、実際的には他人にゼロ以上の利益を与えることが多い。それじゃ駄目なのかしら。今回の件だって実は、あなたは利害を重視していなければ、供道さんに同情する振りだって出来なかったのよ」
「そ、そうなの……?」
 私が合理にした説明は、此方には聞こえていなかったか。
「ええ。供道さんの特異の持つ性質により、その概念に影響を及ぼすこと、即ち、彼女の心に触れることが出来なくなっていたから。合理は例外だけれど」
「例外?」
「あの子はね、無意識に特異を発現させていたのよ。その特異は、この世界を超えて押し付けられたルールを否定する。特異を殺す特異。まあ、あの子らしいかもしれないわ」
 それを聞いて天上さんは、軽く息を吐いた。
 果たしてそれは、あれだけ"此方側"に来ることを否定していた合理が特異を宿してしまったという皮肉に対するため息か、それとも、より彼女自身と合理が近い存在になったことに対する感嘆か。
 それを正確に分析できるほど、私の精神解析は高度ではない。
「まあとにかく、あなたが気にすることではないわ。今のあなたに取れる最適解は、自身の性質を容認することだけよ」
 そう続けたが、天上さんは何も言わなかった。
 "認めるべき自分を認めること"。これって案外、人間にとっては難しいものね。
 ところで。
「それにしても、天上さん。あなた心配していたけれど、ちゃんとできたじゃない」
「何が……?」
 過去の自分の発言なのに、分かっていない様子だ。きっとまだ、事態の整理がついておらず、それどころでないのだろうが。
「ちゃんと力を使って、合理を救えたじゃない。あなた、加速魔術の使い手なのね。"魔術に対して使用して、その魔術の影響が終了した未来まで飛ばす"なんて高度な業、よく出来たものだけど」
「あ、あの時は、合理君を助けたくて、必死で。最初に使ったときはひたすら"速く"って願ったから、同じようにすれば上手くいくかなって」
 それがいかにハイレベルな技術であるか、魔術を知らない天上さん本人には理解できないだろう。
 だが、それでもいい。
「今の段階としては上出来よ」
 理論は重要だが、そんなものは後付けでいい。特異を扱う上で最も必要不可欠なのは、"自らの求める目的の為に、この世界の法則を超える"という意志に他ならないのだ。
 天上さんはあの時、それを抱くことが出来た。
「そうかな……?」
 じっと私を見つめる天上さん。
「ええ」
 そう返すと、彼女は、少し気を取り直したように見える。
 やはりこの子は、人並み外れて感情の処理が上手い。
 暫くは、信頼性の高い"駒"として使えることが期待できる。
 嗚呼、生かしておいてよかった。まあ、この子の特異が世界に与える影響は軽微なものだから、殺すつもりは元より無かったのだけれど。
 さて、こんなもので十分か。
「天上さん、合理のところへ行ってあげなさい。あの子にとって一番近い存在は、あなたなのだから」
「うん」
 頷くと、ゆらりと立ち上がって、未だ地面に座り込んでいる合理の方へ歩いていく天上さん。
 
 実のところ、供道さんについて分かっていることで、話していないことは他にもある。
 ただそれは、私の何たるかについても直結する事柄であり、まだ合理や天上さん達に話す必要はないと思ってのことなのだが。
 特異とは元々、この世界に拘束されないものだ。
 そして、供道さんの"概念を固定させ、保護する"特異。
 それは、この世界の時間軸が変わっても尚、継承能力を保ち続けるということを意味している。
 供道さんは、加速魔術を使用した。天上さんもそうだ。
 両者は全く同一のものであり、故に天上さんは、或いは彼女の接続先の思考と技術は、供道さんの其れに対処することが出来た。
 ならばどうして両者は、同一の加速魔術を使用できるのか。
 供道さんが恐らく、過去の時間軸における天上さんを継承しているからだろう。まあ、私は過去の時間軸で天上さんに会っていないから、はっきりとした事は言えない。
 これは"彼女が時間軸を越えて記憶と技術を継承している"という前提が正しくなければ成立しない話だけれど、私は確かにそれが正しいことを知っている。
 だって、私は遥か昔――単一の時間軸上では、未来という事になるけれど――、供道さん、正確には、その継承元に会っているのだから。
 あの子が死ぬとき、私はそれを、すぐ傍で見ていたのだから。
 彼女が助けを求めていたのはきっと私。痛みで記憶を直視できず、私の姿を至極曖昧にしか捉えることが出来なかったのでしょうね。
 まあ、当時は今とは別の姿をしていたから、仮に外見を把握していたとしても、私が見つかる筈はないのだけれど。
 何にしても、私は彼女に"お疲れ様"と、そして、"また何処かで会いましょう"と言う他にない。
 
 それはそうとして、合理と天上さんはよくやってくれたと思っている。
 合理、あなたは"こんなのが最適解なのか"と言ったけれど、きっとこの先の最適解は、これよりも苛酷なものばかりよ。
 その時あなたは、其れを迷わず選択できるかしらね。
 ともかく、二人とも、これでちょっとは自己が固まったでしょう。
 もしかするとそれは、背理のように、私の望まない方向性に進むかもしれないけれど、それはそれで仕方のない事。
 人間には自由意志があるのだから。
 全てが終わる刻には皆、私に力を貸さなければいけない。そうしなければ皆、消えてしまうから。
 でも、その後なら、幾らでも私に反抗すればいい。
 私の押し付ける世界《ルール》を受け入れなさい。それが厭ならば、私より強くなって、超えればいい。
 其の思考で、世界を超えなさい。

【東岸合理】

 あれから一週間が経った。
 供道が死亡した後に人死が起きなくなったことから、件の犯人はアイツであるということになった。
 結局、方法について何も判明していない辺り、手詰まりなのだろう。
 供道自身の死因は、自殺という扱いになった。これは恐らく、姉貴が何やら介入した所為だ。
 結果的には俺がアイツを殺しちまったから複雑な気分ではあるが、ここで牢にぶち込まれてしまっては、何の解決にもならないからな。
 
 俺と天上は、さっきまで供道の葬儀に出ていた。
 アイツ自身が死亡した為に特異の保護の対象ではなくなり、アイツに対して感情を抱くことが可能になってはいるものの、今までがそうでなかった所為で、出席者は俺達と、家族だけしか居なかった。
 思い入れとして蓄積されたものが無いのだから、仕方が無いといえば無いが、これではあまりにも惨い。
 暫くは、二人して無言で帰宅していたが、ふと天上が口を開いた。
「ごめんなさい……」
「ん? 何がだよ?」
 何故、こんなタイミングで謝るんだ。何かコイツが仕出かしたことはあったか?
 それを、天上は顔を曇らせながら語った。
「私、本当は供道さんの事、何とも思ってなくて、そういう振りをしてただけなんだ……」
「……そうか」
 それを聞いても、不思議と、怒りは湧いてこなかった。
 少なくともコイツは、"フリ"だけはしたのだ。
 それって、何もしてこなかった"みんな"より、余程にマシじゃないか。
 そうか、よく考えてみればそうだよな。姉貴の説明通りなら、アイツの心に接触できたのは、俺だけの筈なんだから。
 俺は、これといって気にしない風な態度を取ったが、天上はさらに続ける。
「それだけじゃない。合理君に対してだってそう。私はいつもいつも、打算で人をはかっているの。合理君と出会った時にあんな事したのも、其れが私の身を守ることに繋がるからって即座に判断したからなんだ。だから、ずるい人間で、ごめんなさい」
 なるほどな。つまりコイツは、俺が"天上を守る"だなんて口走っちまうように仕向けたってワケか。全く、なんて女だ。
 それでも。
「それを今、俺に対して言ったのは打算なのか? 言わないほうが良かったんじゃないのか?」
「え、えっと、それは……」
 困ったように、よそを向く天上。
 つまり、あんたの言いたいことって、こういう事だろ。
「何の気まぐれか知らんが、今からは本心で関わってくれるって考えていいんだよな」
 それを聞いた天上は、はっとした顔で、俺の顔を見た。
「え? う、うん……。でも、怒ってないの……?」
「打算があろうが無かろうが関係ねぇよ。あんたみたいなヤツに助けを求められたら、そうしないワケにはいかないだろ。供道にだってそうした。そうしたかったさ」
 アイツは、何処にも届くことのない助けを求め続けていた。だから、せめてそれを拾える俺だけは、アイツを救ってやりたかった。
「……やっぱり合理君って優しいよね」
 またそれか。ここ一週間、何回それを言われたと思ってるんだ。
 どいつもこいつも俺を知らない癖に、勘違いしやがって。
「優しくなんかない。ただ弱いだけだ」
「そんな事無いのに……とにかく、改めてよろしくね、合理君」
 差し出された天上の華奢な手を、俺は握った。
「ああ、よろしくな、天上」



 それからも俺は、今回の一件――供道のこと――の事は忘れることが出来なかった一方で、段々と天上に惹かれていった。
 まあ、アイツは元々可愛いヤツだし、そんなのと一緒に過ごしていれば、こうなるのは無理もない話だ。
 その後、4年ほど経った時の事であろうか。
 世界に突如として、謎の存在の大群が現れる。
 姉貴が《対象》と名付けたそれは、特異の一種であり、世界の崩壊を体現した概念的存在であった。
 俺達は総力を以って《対象》を撃退し、多くの犠牲者は出たものの、何とか世界を守りきることが出来たのだ。
 しかし。
 救われた筈の世界で、定理の姉貴は何故か、特異を持つ者の抹消を始める。
 背理のヤツは一人で何処かに行っちまうし、姉貴は躊躇なく、生き残った嘗ての友人、それにエーデルワイスを殺した。
 そんな中、ついにアイツは、天上――貴花ですらも、手にかけやがったのだ。
 だから俺は戦った。
 全身全霊を以って、今までの人生の中で、きっとこれが最初で最期になるであろう、強大な壁に立ち向かった。

  • 最終更新:2015-09-28 23:56:12

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